7年前の今日は、川崎の南武線駅構内に母といた。

母の知り合いと駅で会うというので、二人で昼食を済ませ、駅で電車が着くのをコンコースで待っていた。

たぶん電車の到着と地震は同じ頃だったと思う。

駅員さんの対応は落ち着いており、駅に居る私たちにしゃがむようにメガホンで指示し、到着しエスカレーターに乗っていた人々にもその場でしゃがむように指示していた。エスカレーターは停止。

私たちも丈夫そうな柱のそばでしゃがんだ。

震源地も分からないし、駅の天井の飾りが落ちるんではないかと不安だった。

ある程度落ち着いたので、母と帰宅(知人には会えた)するためにタクシー乗り場に行ったが、一台もいない!仕方なく歩いて帰るのだが(私の足では10分程度)、歩幅が20cmほどでヨチヨチ歩く母にイライラ(-_-)

途中余震に遭いながらも、どうにか帰宅。父も居たので、自分の家が心配で帰りたかったが、電車が止まり止む無く実家に泊まった。


今でも南武線の駅に行くと、あの時の恐怖がよみがえる。遠く離れた私でも感じるのだから、被災された方々の想いは計り知れない。

犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。

コメント

まるこ
2018年3月11日11:38

あの日から7年ですね。
関東に住む私達も相当怖い思いしましたが、被災地に方の想いは計り知れないですね。会社の後輩が石巻の子で、家族と連絡取れるまで1週間かかったと言ってました。
テレビで特集など組まれますが、見るだけで当時の恐怖と悲しみにさいなまれる方も多いのではないかと思います。 被災地で逞しく前を向いて頑張っていらっしゃる方を見ると、私も弱音吐いてる場合ではないなと。天災とは言えもう2度と遭遇したくないですね。どうか犠牲になった方が安らかでありますように。

マダムM
2018年3月11日16:07

まるこさん
当事者でないので、日頃は忘れていますよね。こうやって風化されていくことは反省しなくてはいけないと思います。
天災はコントロール出来ないけど、世界に燻る不穏な空気は払う事が出来るのだから、平和に暮らしたいですよね。

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